1950年代

工具に夢とロマンを求めて

ドイツのマイスター制度に感銘を受けた森清(故人)は、1958年、ロー付け工具製作会社「富士精工」を立ちあげました。そこには、工具を通じていつの日か自分の手でマイスターを育て、ドイツに匹敵するような日本一の「ものづくり」がしたいという夢とロマンがありました。

  • 1958

    名古屋市にて会社創立

    超硬チップ切断、バイト・カッター等の製造販売開始


1960年代

時代を先見したC-max

1969年、すでにモータリゼーションの先をいくアメリカフォードの工場を訪れた森は、大量のスローアウェイ(刃先交換式)工具が使用されているのを見て、急遽予定を繰りあげ帰国し、スローアウェイ工具の開発を指示したというエピソードが残っています。

さらに森は、高価な超硬素材の再利用にも着目し、使用済みスローアウェイ工具を再研磨した再生刃具と専用保持具(ホルダー)を商品化し、C-max溝入れツールとして、1971年に販売開始しました。本製品は業界標準となるほどのヒット商品となり、当社がその後大きく成長する礎となりました。

  • 1963

    設計業務開始

  • 1964

    豊田市(現本社所在地)に工場を設立

    フォームドバイト、リーマー製造販売開始

  • 1968

    豊田市に本社機能移転

  • 1969

    スローアウェイ工具製造販売開始


1970年代

工具の国産化と技術の深化

国内のモータリゼーションの波が高まった1970年代初頭にあっても、エンジン部品等を加工する工作機械や工具は輸入品に頼る状況で、これらの国産化が、当時、当社の最大顧客となっていたトヨタ自動車の念願でした。

かくして同社の外国製工具の国産化プロジェクトに参画した当社は、精度の高いアメリカ製の治具研削盤、スイス製の円筒研削盤や放電加工機、ドイツ製の三次元測定機などを導入し、積極的な内製化に取り組みました。この結果、輸入品と同等の精度保証を実現し、“難しいものは富士精工”という評価を決定づけることになりました。

さらにその後も「クイックチェンジホルダー「微調整ホルダー」など、時代が求めるエポックメイキングな工具を多数輩出しました。

  • 1970

    外国製超精密工具の国産化に成功

  • 1971

    C-max溝入れ工具発表

  • 1973

    微調整ホルダー開発

  • 1974

    クイックチェンジホルダー開発(以後シリーズ化)

    超硬工具協会(現日本機械工具工業会)加入

  • 1977

    ダイヤモンド工具製造販売開始

  • 1979

    自動車試作部品事業に参入


1980年代

事業分野の拡大/株式上場という決断

1980年代に入ると顧客ニーズとともに事業分野の拡大に挑戦し、工具の周辺機器である射出成形金型、ワーク測定ゲージなどをラインアップに加え、単なる特殊工具メーカーという殻を脱することになりました。

しかしその一方で、一般になじみの薄いアイテムを扱うために世間での知名度は皆無に等しいうえ、優良企業の多い三河地区に本社をおく当社では、人材確保が大きな課題となっていました。

「優秀な人材に入社してもらい会社に対する誇りを持ち続けてほしい、さらには「企業体質の向上を図りたい」との思いを込め、1982年、名古屋証券取引所市場第2部(現メイン市場)に株式上場を果たしました。

  • 1982

    名古屋証券取引所市場第2部(現メイン市場)に株式上場

  • 1983

    金型分野への進出発表

    Gドリル発表(以後シリーズ化)

  • 1984

    富士エンジニアリング設立

    熊本工場設立

  • 1988

    HAN BOO ENGINEERING設立

    SANSETSU AUSTRALIA設立(現SANCELL)

  • 1989

    ACCUROMM USA設立


1990年代

世界各地のお客さまのために

1980年代半ば、自動車メーカーの海外生産が本格化したことを受け、韓国やアメリカを皮切りに現地会社の設立に動き始めました。

1990年代に入ると、この動きに一層拍車がかかり、インドネシア、中国、タイなどにも相次いで会社を立ちあげました。

生まれながらに「ローカルの生産・サービス拠点「富士精工製品の生産工場」という2つの役割を与えられた各社はその後、着実に力を蓄え、2000年以降には当社グループの主力工場へと成長を遂げています。

  • 1990

    ワーク測定ゲージ製造販売開始

  • 1991

    FSK(THAILAND)に資本参加(現FUJISEIKO(THAILAND

  • 1992

    鹿児島工場設立

  • 1993

    FUJI PRESISI-TOOL INDONESIA設立

  • 1995

    大連富士工具設立


2000年代

一工具メーカーからの飛躍

1990年代後半ごろから自動車メーカーの海外進出はさらに加速し、各社とも人材不足という問題が露呈してきました。

これを顧客ニーズと認識した当社は、2000年に新たなビジネスとして、生産準備から生産開始後のツールマネジメントに至るプロセスを請け負う「FTE事業(FujiTotal Engineering Business」を立ちあげました。

  • 2000

    FTE事業開始

  • 2003

    TT FUJI TOOL SUPPORT設立

  • 2004

    ACCUROMM CENTRAL EUROPE設立 広州富士工具設立

    ワークチャック治具の設計製作開始

  • 2005

    長春韓富工具設立


2010年代

トータルエンジニアリングカンパニーへ

2010年代に入ると「FTE事業」をさらに発展させ「加工点まわりのトータルエンジニアリングカンパニー」として、さらに広い視点でのビジネスモデルの再構築(機械加工分野の上流(部品試作)から中流(生産準備、下流(ツールマネジメント)に至るまでの一貫サービス体制の構築)を進めました。

  • 2010

    電動車関連事業への参入

  • 2012

    ACCUROMM Mexico設立

  • 2018

    韓富インド有限会社設立


2020年代

大変革時代への挑戦

今日では、自動車業界は100年に一度の変革期を迎えており、かつ、各社は脱炭素に対する取り組みを求められています。

当社は、時代の流れに合わせて、今まで培ってきた技術の活用と新しいビジネスモデルの構築を進め、電動車に対する事業を拡大してまいります。

また、環境に配慮したモノづくりや、カーボンニュートラルへの挑戦を進め、未来への活動を継続してまいります。

  • 2021

    志賀機械工業株式会社を子会社化


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